スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Tag:スポンサー広告 

2016/2/18 劇団武る ゲスト 都京弥 【田原坂】

2016/2/18 劇団武るの公演に特別出演された
劇団都 都京弥座長 【田原坂】のお写真です。


《田原坂》
1877年(明治10年)に西郷隆盛を盟主にして起こった士族反乱 西南戦争での激戦地。
DSC_4239.jpg
難攻不落と言われた熊本城へと続く、狭く曲がりくねった峠道です。

DSC_4272.jpg
熊本鎮台が守る熊本城を落とそうと包囲し、官軍を迎え撃つ為に田原坂を固める薩軍。そしてそれを攻める官軍。寒さの残る3月。雨が降り続く中、厳しい状況での戦いだったそうです。

DSC_4273.jpg
3月4日。一の坂を登ろうとする官軍。そこに地形を利用した薩軍は[高きから射撃し、弾は雨と散り、あられと降り、進む者は必ず傷つき、退く者、必ず倒れる]と記録される程の銃撃での足止めを行い、更に抜刀白兵戦による攻撃。想像を絶する戦いだったことでしょう。

DSC_4281.jpg
「雨は降る降る 陣羽(じんば)は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」

DSC_4291s.jpg
この日、官軍が消費した銃弾は推定で数十万発。田原坂ではわずか数百メートルの中での銃撃戦です。この凄まじさを表しているのが、田原坂から発掘されるかちあい弾。銃弾同士が衝突して一体化した弾。そんなものが多数見付かるほどの弾の雨だったのです。これらの銃弾が、どれだけの命を奪ったのでしょう。どれだけの血が流れたのでしょう。

DSC_4293.jpg
「田原坂なら むかしが恋し 男同士の 夢の跡」

DSC_4306s.jpg
記録でしか知る事が出来ない歴史。伝聞でしか知る事が出来ない歴史。私達は知って想像するしかない。だけど、それ以外にも悲劇を伝える表現がある。京弥さんの踊りもその一つなんだと思う。

DSC_4307.jpg
「引くに引かれぬ 田原の剣は 男涙の 小夜嵐」

DSC_4324.jpg
田原坂と当日に行われた吉次峠の激戦。この峠の事を、官軍では地獄峠と呼んだそうです。17日に渡る激戦で亡くなった兵士は、両軍合わせて数千人に上ります。まさに地獄。そして、この地獄が西南戦争の分水嶺でもあり、序章に過ぎなかった・・数え切れない悲劇がそこにあったんですね。

DSC_4356.jpg
西南戦争が明治10年の9月24日に西郷隆盛の切腹という形で終わるまでの間、官軍死者は6,403人・西郷軍死者は6,765人。明治初期の士族反乱でも最大規模のものでした。

どれだけの血と、どれだけの涙が流されたのかと今を生きる私達も考えなくてはならない。忘れてはいけないことなんだと思います。こんな戦争にも意義はある。政治的にも経済的にも・・だけど、それだけじゃないよね。

DSC_4365.jpg



でも何だかんだ言って、初めて観た京弥さんの【田原坂】に泣くほど見蕩れていただけです。
こういうの無敵にかっこいいわ。何度目か分からないけれど、惚れ直した。
スポンサーサイト

Tag:劇団武る  comment:0 

Comment

comment form
(編集・削除用):
管理者にだけ表示を許可
プロフィール

秋扇

Author:秋扇
写真は劇団様・ご本人様に撮影と掲載の許可を頂いております。
記事や画像の無断での引用・流用・複写・転載については固くお断り致します。

記事の内容に間違いや問題がありましたら、遠慮なくご指摘下さい。
可能な限り対処させて頂きます。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。